日立鉱山(ひたちこうざん)
茨城県(いばらきけん)日立市(ひたちし)宮田町(みやたちょう)
別名
赤沢鉱山(あかざわこうざん)
産状
後期 白亜紀 (1億年前, 100 Ma)に終了した阿武隈変成作用により 緑簾石角閃岩相の広域変成を受けた赤沢層上部の別子型塊状硫化物鉱床。 磁硫鉄鉱を伴い、日本の他の別子型塊状硫化物鉱床より変成度が高い。 変成年代は白雲母のK-Ar放射年代による。

大雄院精錬所。写真に見える煙突は、公害防止のために建設したものだが、現在は途中で折れている。
産出鉱物
- 黄鉄鉱
- 黄銅鉱
- 磁硫鉄鉱
- 磁鉄鉱
- 硬石膏
- 石膏
- 緑泥石
- 緑廉石
- 紅柱石
- 菫青石
鉱物組み合わせ
- 黄鉄鉱 - 黄銅鉱 - 石英
- 黄銅鉱 - 石英 - 緑泥石 - 菫青石
概要
主力は銅。日立グループはこの鉱山から発展した。
産出金属
- 銅粗鉱: 30,000 ton/月 (1956年)
- 閉山までの銅生産量: 約44万ton
沿革
- 1591年(天正19年): 豊臣秀吉より朱印を得て、佐竹藩(佐竹義重)が金鉱山として開発。
- 1640年(寛永17年): 永田茂右衛門が赤沢鉱山として銅を採掘。
- 1660年(万治3年): 出水のため休山。
- 1861年(文久元年): 大塚源吾衛門が銅を採掘。
- 1864年(元治元年): 水戸天狗党の乱により鉱山施設壊滅、休山。
- 1894年(明治27年): 高橋元長と城野琢磨が銅の採掘を開始。
- 1905年(明治38年): 久原鉱業(久原房之助)が買収、日立鉱山と改名。
- 1905年(明治38年): 500尺煙突が完成。
- 1907年(明治40年): 溶鉱炉完成。
- 1925年(大正14年): 日本鉱業が買収。