小坂鉱山(こさかこうざん)
秋田県(あきたけん)鹿角郡(かづのぐん)小坂町(こさかまち)小坂鉱山(こさかこうざん)
別名
内の岱鉱山(うちのたいこうざん), 鴇鉱山(ときこうざん)
産状
前期 中新世 (1700万年前, 17 Ma)の鍋子沢層のデイサイトおよびデイサイト質火砕岩中に見られる黒鉱型塊状硫化物鉱床。 鍋子沢層は、大館地域の保滝沢層に相当する。 この鉱床は、北鹿カルデラ複合体の中の一部である前期 中新世 (1600万年前, 16 Ma)の内の岱カルデラ内に堆積した。 北鹿カルデラは、中新世の海底火山と中新世-鮮新世の陸上火山からなる直径20kmのカルデラ複合体。 北鹿カルデラは、少なくとも13個の小規模なカルデラおよび火口を含む。 火山岩の年代はK-Ar放射年代による。
以前は精錬所のそばにあった鉱山事務所。明治時代の建造。 現在は観光施設になっている。他にも歌舞伎の演劇場など、鉱山労働者の福利厚生に配慮した鉱山。
産出鉱物
鉱物組み合わせ
- 閃亜鉛鉱 - 方鉛鉱 - 黄鉄鉱 - 黄銅鉱
- 重晶石 - 紫水晶 - 閃亜鉛鉱
概要
主力は、銀と銅。明治時代には日本随一の銀山。明治以降、久原房之助を中心にそれまで精錬が不可能だった黒鉱の精錬技術を開発することで国内有数の銅山に発展した。最盛期には4,500人を雇用。
産出金属
- 銅: 3,700 t/年
沿革
- 1683年(天和3年): 鉱床発見。銅鉱山として採掘。
- 1861年(文久元年): 農民・小林与作が銀を採掘。
- 1866年(慶応2年): 銀山として南部藩が召し上げる。
- 1870年(明治3年): 南部藩の御山となる。
- 1881年(明治14年): 西洋式精錬所、分銀所建設により日本一の銀山に発展。
- 1884年(明治17年): 藤田組が取得。
- 1898年(明治31年): 羽口炭による自熔精錬法(生鉱吹: pyritic smelting)開発、黒鉱による銅鉱の採掘開始。
- 現在: 主に買い入れ鉱の精錬が中心。